8-BC 「ソクラテス以前の哲学者」




第8回ベルクソン・カフェのご案内



日時: 2023年11月8日(水)18:00~20:30

テーマ: J・F・マッテイの『古代思想』を読む

Jean-François Mattéi, La pensée antique (PUF, 2015)


講師: 矢倉英隆(サイファイ研究所 ISHE)

会場: 恵比寿カルフール B会議室



東京都渋谷区恵比寿4丁目4―6―1 
恵比寿MFビル地下1F


会費: 一般 1,500円、学生 500円
(コーヒーか紅茶が付きます)



カフェの内容

ベルクソン・カフェでは、フランス語のテクストを読み、哲学することを目指しています。今回は、このところ個人的に触れる機会が多い古代哲学の概説を取り上げることにしました。テクストは、ジャン・フォランソワ・マッテイ(Jean-François Mattéi, 1941-2014)著『古代思想』(La pensée antique,  PUF, 2015)の第1章「ソクラテス以前の哲学者」(Les présocratiques)です。簡明な文章を読みながら人類の精神が目覚めた時代に立ち返り、現代の我々を取り巻く根源的な問題へと思索が向かうことができれば素晴らしいと思います。
参加予定者には予めテクストをお送りいたします。議論は日本語で行いますのでフランス語の知識は参加の必須条件ではありません。このテーマに興味をお持ちの方の参加をお待ちしております。

申込み先: 矢倉英隆(she.yakura@gmail.com) 



会のまとめ

 



今回のテクストは、J・F・マッテイというフランスの哲学者によるソクラテス以前の哲学者についての分析であった。前回、現代哲学の生々しい問題を込み入った表現で書いたものを読んだので、今回は解説調のものを選んだつもりである。項目としては、「ギリシア理性の誕生」「万物の原理」「ピタゴラス学派」「理論的まなざし」が取り上げられていた。

「ギリシア理性の誕生」では、ソクラテス(c.470-399 BC)に先立つ紀元前6~5世紀に活躍した哲学者たちの特徴が問題にされている。その特徴は、「ピュシス」(自然)、さらに言えば、万物を誕生させる原動力について考えたことである。従って、アリストテレス(384-322 BC)は彼らのことを哲学者ではなく「ピュシコイ」(自然学者)と呼んだのである。彼らのアプローチの核心には「ロゴス」(ことば、言説、知識、理性などを意味する)の発見があった。天文学や数学の分野で知識を発展させた古代人はいたが、ソクラテス以前の哲学者のように理性的なロゴスに基づく思考体系を構築したものはいなかったという立場を採っている。

彼らから10世紀を経た紀元5世紀に、哲学者プロクロス(412-485)はギリシア科学、それを引き継いだヨーロッパの科学の特徴を次のように分析している。

1)人間の知は、「スコレー」(暇)と呼ばれる学校制度と結びついた自由教育の対象である。

2)それがいかに正確だったとしても経験的な測定に還元するのではなく、推論の原点、公理(あるいは原理)に基礎を置く。

3)公理に基づく論理的推論によって真理を確立する命題(=定理)を記述する。

4)求める結果を得るために、詳細かつ段階的な手順(=方法)を用いる。

5)直接的な経験データに基づくことなく、純粋に知的なアプローチ、抽象的な次元に頼る。

観測されたすべての現象を因果律に結びつけることにより、宇宙の不変の法則を発見しようとしたのである。紀元前5世紀に見られた知的(哲学、自由な思考、科学)、社会的(民主制)、文化的(悲喜劇、建築)な幅広い分野における開花を19世紀のエルネスト・ルナン(1823-1892)は「ギリシアの奇跡」と呼んだ。

ギリシアの自然学者は万物の始原(アルケー、存在の原理)を探究したが、その際、感覚で捉えられるものに頼るのではなく、知覚されないけれでも知性で理解可能なものに目を向けた。後にカント(1724-1804)が「純粋理性」と呼ぶことになる領域に入ったのである。

哲学者の元になる「フィロソフォス」(知恵の友)という言葉の由来に関する興味深い逸話があるキケロ(106-43 BC)によれば、ある王がピタゴラス(582- 496 BC)を宮殿に招待した時、彼の「知恵」(ソフィア)に驚き、「あなたは「賢者」(ソフォス)に相応しい」と言ったのに対し、ピタゴラスはこう答えたという。

いいえ、わたしは「ソフォス」ではなく、手に入れることができない知恵を求めている「フィロソフォス」です。

哲学者の状況を実に的確に表現していると言えるだろう。

次の「万物の原理」の項では、ミレトス学派のタレス(c.624-c.546 BC)、アナクシマンドロス(c.610-c.546 BC)、アナクシメネス(585-525 BC)が、それぞれ水、無限(アペイロン)、空気をアルケーとしたことが記されている。

次の項では、ミレトス学派よりも重要で、遥かに大きな遺産を残したとされる「ピタゴラス学派」を取り上げている。この学派は幾何学と算術のほとんどの定理を発見し、ピュシスは算術的な「点」と幾何学的な「三角形」の連続から出来上がっていると考えた。この見方は今日の科学者にも見られる考え方である。

最後の「理論的まなざし」の項では、「理論」(テオリー)という言葉の元にある「テオリア」について説明されている。これは「まなざし」を意味するが、具体的には、舞台で展開する場面を観る場所である「劇場」(テアトロン)に出かけ、客体との距離を保って観察することを含意している。この「まなざし」はギリシア思想に特徴的で、これが現実を批判し、社会的、政治的、道徳的な実践(プラクシス)を指示するものでなければならないという考えを生み出したとされている。


ディスカッションでは、次のようなテーマが印象に残っている。「ギリシアの奇跡」が唱えられているが、これはあの時のギリシア人でなければ生み出すことができなかった人間精神の開花であるとされる。この主張は、科学や哲学などは他の場所では生まれ得ないという含みを持っており、自国第一主義、人種差別、例外主義に繋がる危険性があるのではないかという懸念もあるようだ。

これについて、日本人社会には封建的な階級制があり、あるいは自由教育がなかったため、双方向で行われる自由な議論を鍛えることがなく、さらに、それを乗り越えることもなかったため、哲学的な思考が生まれ難かったのではないかという指摘があった。そこでは全てが表面的な議論に終始し、そもそも思考というものが行われているようには見えない。そこから新しい文化や困難を乗り越える思想が生れる余地は残されていないのではないかという悲観的な現状認識も出された。


懇親会では、そのような現状に対処するために、我々は何をしなければならないのかというところに話は向かった。そして、教育が基本ではあるのだが、それぞれの立場から何らかの働きかけをする以外に方法はないという結論に落ち着いた。わたし自身もその方向で歩むよう努めてみたいという思いとともに、会場を後にした。


次回は来年の3月6日(水)、同じ時間、同じ場所で予定しております。

今後ともご理解、ご協力をよろしくお願いいたします。



(まとめ:2023年11月9日)


参加者からのコメント


● 1.文献要旨からの考察

 今回の読解部分の要旨を記す。紀元前6~5世紀、ギリシア哲学の先達であるギリシア思想家達は、「自然」(万物を誕生させる原動力)を探究することを愛する「フィロソフォス(知恵を愛する友)」であった。その方法は、公理・定理からなる推論体系である幾何学のように、「ロゴス」(言葉による推論)によるものであった。「万物は物質的な構造ではなく、コスモス(秩序と美)を備えた、数学的構造による」とピタゴラスは述べた。このような思想が生まれたことについて、後世の人々は、「ギリシアの奇跡」と呼んだ。

 これら思想家や、後世のソクラテス、プラトンを含めた、ギリシア思想を通して、「テオリー(推論)」の語源となる、「テオリア(もの・ことに向ける、理論的な"まなざし")」が重要である。この「テオリア」は、「テアトロン(劇場)」の舞台において投げ掛けられる"まなざし"のことであり、そこでは、ある場面を観る場所として、主体と客体との間に距離が設定されている(役者同士や舞台・客席間)。

 この要旨のうち、「テオリア」、「テアトロン」を基に、ギリシア思想家達を表現すると、「人生舞台において、主体(自身)と客体(自然)との間に距離を設けて、自然探究を行なった、知恵を愛する人々」であり、「テオリアから生まれたギリシア思想」と表現できる。

 これら先達は、その探究対象から、現代物理学者に相当すると言える。惜しいこととして、純粋な推論に固執したため、実験・観察に基づく推論からの発見に至らなかったことが挙げられる。後者も行なっていれば、水草の葉から出る気泡を採集して、燃える気体(酸素)を発見したり、水銀柱を使って、気象に気圧が関係することを発見したりしていたかもしれない。


2.ギリシア思想の因果律と仏教の因果律との違い

 会当日の参加者は5名で、前述の因果律について、「仏教でも提唱されているのでは」との意見があった。確かに仏教では因果応報や功徳などが説かれているが、それは仏教思想の枠内で、良い来世を願ってのことであり、宗教の枠から離れたギリシア思想とは異なると思う。この来世願望の強さについて、この11月に宇治・平等院の鳳凰堂(参考)を内外から見学し、来世への救いを、寺院建築とその壁画や仏像でいかに具現化するか、凄まじいまでに欲求を感じさせられた。

(参考)

平等院 


3.「万葉集」は生まれても「万葉哲学」が生まれなかった訳

 また、会では、「東洋・日本では、技術・技能向上の取組はあっても、古代ギリシアのような、自然探究がほとんど見受けられなかった」との意見があった。たとえそれがあったとしても、薬草や博物学くらいしか聞き及んでいないところである。平等院訪問の前日、飛鳥の石舞台古墳をはじめとした巨石遺跡(参考)を巡った際、重さ数十トンもの石を運んでバランス良く積む技術はあっても、石の成り立ちの探究や力学の発達はなかっと気付かされる。また、「万葉集」は生まれても、「万葉哲学」は生まれなかったことについても気付かされる。

 なぜ、古代ギリシアで、宗教・神話から離れ、自由に自然探究をする機会が誕生したかと言うと、限定的ではあるが、自由な市民が対等な立場で議論し合う社会が実現していたからだと考える。この自由な議論では、宗教や神話を根拠に持ち出しても、互いの宗教・神話が並立するだけで、それ以上、議論は進まない。知を愛し求めるから、対等な立場での、言葉と論理による主張が展開したのだと思う。また、古代ギリシアの劇場は、前述の"まなざし"の演技を伴いつつ、登場人物同士で主張のし合いにより、テオリア・テオリーを具現化して体感できる機会として、この"まなざし"を育んだと考える。

 これに対し、万葉文化は、律令国家の枠内での人間模様や風物描写に止まり、「万葉哲学」が生まれなかったのだろうと思う(参考)。飛鳥巡りの翌日は、奈良国立博物館の正倉院展(参考)で、技巧と美術の粋を尽くした数々の宝物を鑑賞した。紀元前6世紀頃のギリシア哲学が、正倉院の宝物作成の技能や美術伝来のように、紀元後6世紀の万葉文化に伝わっていたら・・・と想像するところである。

(参考)

旅する明日香ネット

奈良県立万葉文化館  

飛鳥資料館 

奈良国立博物館・正倉院展


4.「市民社会での自由な議論」の希少性

 このような社会制度に思想が制約されることについては、この9月に島崎藤村の「夜明け前」の舞台である、馬篭・妻籠を巡り、妻籠の脇本陣を見学した際にも感じた(参考)。封建社会での囲炉裏では、家長・嫁・姑・子供と座る場所が上座から下座まで固定され、子供達は薪から出る煙が流れる下座と決まっていた。そこでは、囲炉裏の上部にオンドルを設けて換気をしたら、と言うような創意工夫は生まれず、まして、平民の人権より森林資源が重んじられた封建制社会では、「江戸哲学」も生まれなかったと言える。

 こうしてみると、「市民社会での自由な議論」と言うことが、歴史上、その出現期間の少なさから、いかに貴重で自然・哲学探究の素地として重要かと気付かされる。

(参考)

南木曾町博物館


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